武 装 解 除

  最後のレイデングパ−ティ主催サバイバルゲ−ム。

・サバイバルチ−ムの解体・

11月1.2日とキャンプと夜戦、昼間戦と神奈川県愛川町で最後のレイデングパ−ティ主催サバイバルゲ−ムに参加してき
ました。なぜ最後かと言うと、主催チ−ムが、途中から参加した。チ−ム傭兵にゲ−ムの主催が移る事になっつた事です。
13年前、神奈川県下の個人参加者を募り1つのチ−ムを立ち上げ、サバイバルゲ−ムを17名で楽しんできましたが。ここに
きて転勤、家庭の事情、会社の倒産等の社会情勢も反映し、加えてチ−ム作成者の私まで、転居して1年5ヶ月。
レイデングパ−ティのゲ−ム参加者が1.2名では、ゲ−ム運営も無理です、そこで、友好チ−ムのチ−ム傭兵に全てあずけることにしました。
これも仕方のない事とおもいます。隊の装備(フラッグ,無線機、マ−カ、弾速計)などを、引渡して1件落着。チ−ムの作成からチ−ムの解体、
引継ぎまで関われたことは、良い経験でした。
今思うに、年1回の集会は、河原ではなく、ファミレスなどで、また、隊長の任期は1年、そして、常時隊員の確保、隊運営上の苦言等を
途中でサボルようになってから。チ−ムの解体がはじまったのでしょう。それが、私の転居後で幸せでした。
戦前生まれの私にとって、2度目の敗戦の様な気分です。1度目は1才半で分かりませんが(笑)2度目はこたえました。
自分で作った組織的戦闘部隊が、解散して、隊の装備(サバイバルフィ−ルド、フラッグ、無線機、弾速計、マ−カ)など。
戦闘地域と兵隊を他のチ−ムに引継ぐ、軍事的には、1国の武装解除のようです。
フィ−ルドは、対外戦でいろいろ行きましたが。他チ−ムに評判で、土嚢の塹壕やバリケ−ドを要所に配置し、地形は若干の起伏に富み、
神奈川県下のどこより良いと私も感じていました。冬はデザ−ト、梅雨時はフィ−ルドの一部に湿地帯と小川が出来、ODでベトナム戦、
その他ウッドランドと。また、夜戦もOK、隣接のセフティは夏用と冬用、そして、キャンプにも適地で、駐車場が近く、人通りがなく。
申し分がなかったからでしょう。よって、毎回ビジタ−が40人から60人程遊びに来て頂き、2年まえごろより主催チ−ムの参加者が2.3名でビジタ−だらけ。
ゲ−ムの進行だけの状態ですた。最後に引継ぎに参加した隊員5名。年齢構成は、隊長43才、隊員70才1名、59才2名、55才1名でした。
最後の感想として、チ−ム作成者の私としては、1つの国の武装解除を見ているようでした。

                 筆者   東山春美
回想録に戻る