1 青木ヶ原の死体探し

  平塚の明石町にMIELと言うモデルGUNショツプがあり、
 そこのサバイバルチ−ムで年1回青木ヶ原へ入ります、初めての
 ときは、自衛隊武山駐屯地少年工科学校の教官の指導を受
 けましたが、2度目以降はチ−ムにて入りました。完全自殺マニ
 ユアルを読むと、X、Y、Z、ゾ−ンがあり、100M入ると帰
 れなくなると書いてある場所、溶岩地に苔と灌木が生い茂り白い
 天狗茸のようなきのこ生えている幻想的な昼なお暗い場所
 です、歩く時注意を要することは、苔の上に足を乗せたとき、
 ズボっと膝まで入り足をくじき歩けなくなることです。
 ある時チ−ムが道に迷い、もともと、道の無いところですが、
 広瀬中佐以下真青になりました。

残留物 先頭の佐藤少尉のコンパスと
 最後尾の私、軍曹のコンパス
 の指している方向が違うのです。
 太陽の方向で方角が判るのでは
 とおもうでしょうが、
 木立の枝葉が丁度テントのように
 日の光を遮っているのです。
 各員の装備は食料2日分、
 歩兵の個人装備と地図は
 米軍で使用している2万5千
 分の1を全員が携帯して
 いますがあてにならず、
 感が頼り。我が隊10数名全員死体
 になるのでは。最初に青木ヶ原に入
 ったときはスズランテ-プを                 自殺の痕跡
 木に縛りつけながら前進したのですが3度目ともなる
 と慣れと下手な自信でスズランテ-プを使用せずに自殺の
 名所に入りこみました。そして案の定迷いました。 
 "八甲田雪の彷徨" 非常事態です、隊長も自信がなくなり
 隊員を車座に集め隊員全員の意見を聞く事にしました。
 このまま、まっすぐ進む意見、元の場所へ戻ろうと言う意見、
 隊長に従うと言う意見、このとき、私は周囲を見渡したところ、
 2時の方向にまっすぐ張ったスズランテ-プを発見したのです。
 戻るにしてもまっすぐ戻れるか分かりません、また、
 むやみに前進してもどうなるか
 随一まっすぐ前進するには誰が張ったか分からないけれど、スズランテ-プを
 たどればグルグル廻る事もないと、
 このように説明して提案したところ、私の意見が採用され、出発とあいなりました。
 張ってあるスズランテ-プをたどる事ほど楽なことはありません、程なく以前死体探しを
 した場所に出たのです。隊員は大喜び良かった良かった。本当に良かった、ただ私は
 あのスズランテ−プが奥地へ続く地獄行きではと心配していましたが、
 なにはともあれ成功です。全員一時はどうなる事になるかと思った次第です。
 青木ヶ原の中にも小径があります、死体探索ポイントが経験的に分かつてきた
 ところによると小径の両側が盛りあがつた丘の反対側の窪地に自殺の痕跡が
  沢山あります。青木ヶ原なら絶対に見つからずに死ねる、と思うのでしようが、
 どこかで発見してほしいという気持ちもあるのかと感じられます。探索の方法は、
 ホイスルを鳴らしながら迷わないように、10M間隔で横1列になり押して行きます。
 ある場所だけを重点的に探索するときは、その場所を基点として、扇子を開いて
 いく様に扇形に探索します、そのとき青色の肩から下げるバッグを発見、
 雨に濡れてかなり傷んでいましたが、中身を確認したところ、現金3千円ほどと、
 身分が判明出来る学生証がありました。探索終了後、帰途
、所轄の富士吉田警察署に立ち寄り、隊長の広瀬中佐と元警察官の菅少佐が
 遺失物係にとどけました、その際届出用紙の職業欄に警察官が自衛隊
 と記入していたそうです。 また、現金3千円の意味を考えると帰りの電車賃
 として最後まで確保しておきたかったのではと、本人の心の葛藤を感じさせる
 金額でした。1ヶ月後に約1年近く失踪している千葉県の高校生の両親が
 判明し電話にて風穴の駐車場でまちあわせる事になりました、
 現場へ案内して。再度丹念に周囲を探索しましたが死体は発見出来ません
 でした、

遺棄鞄 鞄を置いてもっと奥へ入って
 しまったのか、
 御両親は泣いています。−−−
 どこかで生きていますから
 気を落とさないように、と言う
 以外言葉もありませんでした。
 お礼に2万円頂きましたが、
 私たちは冒険心よりおもしろ
 半分行動している事に
 後ろめたい気持にたったのは言う
 までもありません。死体を
 発見した時の様子を話します、
 その日も氷穴の駐車場にて装備を
 整えて出発しました。
 いつもの探索コ−スを進んでいると、
 腐敗臭がかすかにします。                  発見した鞄
 ある場所だけを重点的に探索する扇形探索を開始して、
 わずか5分位で林曹長が大声で発見場所知らせ、
 戻って来ました。
 やな物を見てしまったと言うような、なんとも言えない顔をしていました。
 隊長はいつも死んだ兵隊はいい人だ、が口癖ですが黒く横たわる死体です、
  私は従軍僧侶も兼ねているので、蝋燭と線香を立てて
 火を付けて読経をし供養をいたしました。供養は欠かせません、
 私は信じませんが、悪い霊に取り憑かれることを防ぐ意味があります。
 携帯は通じず、「軍曹なんとかして携帯を通じるようアンテナを立てて
 くれよと何度言われたことか、」 隊長は2名をもって、所轄の富士吉田警察署
 に通報するために伝令をだしました。その間、50Mと離れていない小径に
 戻って小休止をする事にしました。小径にそって並んで座っていると、
 妙なもので観光バスツア−の面々がバスガイドの旗を先頭にやってくる
 ではありませんか。こんなところも観光バスツア−のコ−スになっている。
 本当に驚きました、バスガイドに尋ねると、青木ヶ原ミステリ-ツア-とのことでした。
 そこで私はツア-客とバスガイドに、ほんの50M入ったところに自殺死体
 を発見したから、ちょうど良いチャンスだから案内します、とバスガイドとツア-客
 に話をむけると驚いた様子で黙って行ってしまいました。あれはなんだったのだ
 ろう。そうこうするうちに伝令が警察官2名をつれて戻ってきました。
 警察官の死体の扱い方を見ていると、持ってきた死体袋(テントの様な)を
 取り出し手際よく死体をのせ包んで一丁終わり、そのとき片方の耳がない
 と言って探していました。死体を見て自殺と判断したらしく、特別に鑑識班を
 よび現場検証をする様子もありませんでした。その間ほんの10分位でした。
 帰りに全員で山中湖畔にあるレストランすえひろで焼き肉を食べ
 帰還したしだいです。 筆者   東山春美
  

回想録に戻る